寝言は寝て言うし、戯言は暇がないなら聞かなくていい
それまじうけるわかるそれな、って言葉をいれかえてウンウン相槌うつこと、普通におかしく思わなくなるのを自分で感じてると、人間っておもしろくできてるなあって思った。
実際に起きてから寝るまでずっとスマートフォンが手元にあるし、いちいちダイアルアップ音聞かなくてもいいし、すぐネットに繋がる。ごはんたべながら、お風呂入りながら、トイレしながら。いつでもどこでも。いくら最新型のパソコン開いて速度の良いネット回線を繋げてたとしても、身近さで圧倒的にスマートフォンより勝るものは現在の所ないんじゃないかな。それだけ気軽に出来ることはいい事にもなるし、もちろん悪い事にも。
例えば、包丁は料理をするのには便利だし欠かせないものだけれど、人を殺す事もできる。進化してく生活にかかせなくなったものなんて全部そんな感じで、使い方とその時の感情と運ですぐにどうとでもなる。
包丁を手に持ってるだけで"もしかしたら何かの拍子で人を刺してしまわないだろうか"と怖いなら、極端な話いっそ手放せばもうその可能性はないに等しくなるんだよね。まあ刺される可能性はあるけどさ。
私は前まで白か黒かで言うとグレーゾーンがいいなって考え方だったのに、いつの間にかどちらかハッキリしていないとダメになった。とても両極端。だから、便利だなあと楽しく料理していたとしても、とある拍子で突然包丁が怖くなって手放してしまいたくなる。刺される可能性はどれだけあっても構わないから、傷つけることはしたくない。
それでも不思議なことに、一度も面識がなくとも、断片的にだとしても、私のことを知ってくれる人がいる事はとても嬉しいもので。
死ぬ前に死ぬまでに、誰かの記憶の片隅にでも自分がいてほしくて、何かを死ぬ前に死ぬまでに、とても大きなものを作り上げなくちゃいけないことをずっと前まで考え続けていた。でもきっとそんなことは自分には不必要なんだろうな。
「これから人間として生きていくことを、おれは心から応援します。きっと幸せになれますように。」
日付が変わる前に届いたメッセージがとても嬉しかった。人間活動しよう。苦しみながらでも自分が自分のためにできることがあればいいな。本当は神様なんていないし、自分のことを作るのは主に自分だ。そうだよ、そうだったんだ。